

| 厚生連 篠ノ井病院のHCU(準ICU)にいる。 頚髄損傷。両肩ともすくめる事ができる。右肩を可動域はかなり狭いものの回す事ができる。右肘を曲げる事ができるが、延ばす事ができないので使い物にならない。右手首を少しだけ返す事ができる。人工呼吸器を付けている為声が出ないが、口パクや50音表を使って意思の疎通は出来る。声帯を使わずに出せる音がある事に気付き、使う。痙性は日に日に強くなる。 1日3食、全介助で食べさせてもらう。複視。起立性低血圧の為、ベットを上げるのにとても時間がかかる。唾を飲み込む事が出来ないので、ティシューで取ってもらう。腹筋と背筋が痛い。 気管切開した喉の所から人工呼吸器を付け、おむつを当てている。褥瘡対策の為、1日何回も体位交換をする。痰を自分で出す力がないので、機械で吸引してもらう。 面会は7:30〜8:00、12:30〜13:00、17:30〜18:00の3回。親は毎日来てくれる。母は身の回りの世話で昼と夜の2回(12:30〜14:30 17:30〜20:00)、家と病院を往復する事になる。父は面会時間がたとえ残り5分しかない時でも、会社帰りに毎日寄ってくれる。友達も沢山来てくれる。リハビリ ベット上でOT・PT合わせて30分位。親が、よくマッサージをしてくれる。人工呼吸器の設定をどんどん下げていき、呼吸の練習をする。そのせいか腹筋と背筋が痛い。週2回特殊浴槽で入浴。 |

始めて車椅子に乗ります。 車椅子と言ってもリクライニング式の車椅子です。リクライニング式の車椅子に人工呼吸器を付け、看護師さんに押してもらって厚生連 篠ノ井病院の入り口までいくと、面会を終え帰ろうとしている両親を発見しました。 看護師さんが手を振ると両親は喜んでかけ戻ってきました。
そのまま両親と外で1時間位風に吹かれていました。夜はお祝いにお寿司でした。 9月16日 人工呼吸器の設定をさらに下げ、酸素を流すだけの設定で呼吸の練習をします。 9月20日 PTの先生が来た時の俺の態度に母が説教します。 自分自身、重度身体障害者にもかかわらず「PTの先生は俺の事を障害者扱いするから嫌い」と言います。この頃はまだ、身体障害者の自分を受け入れきれていません。 ![]() 9月21日 今日から昼間中ずっと、酸素を流すだけの人工呼吸器の設定になります。 10月1日 今晩から夜も人工呼吸器の設定を下げ、これから毎日どんどん設定を下げていく事になります。 10月7日 酸素のホースが
ただ、夜は付けていて熟睡すると「吸っていないぞ!」とピーピー鳴ってしまいます。 夕方に父が来た時、うれしそうな顔をしていると「何か良い事あったの?良い顔してるねぇ」と、気付きませんでした。 父よ、、、気付いておくれ・・・・・ |
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| 9月16日 看護師さんに「回復は月単位、年単位」と言われ、トコトン落ち込みます。 9月20日 看護師さんに車椅子を押してもらい、病院の周りを一周散歩します。何もありませんが、なんか楽しくてうれしかったです。 9月25日 右手が自分の下唇までとどくようになります。 9月26日 昼飯の時から夜まで車椅子に乗っています。どこに行くってワケではありませんが、俺にとっては車椅子に乗っている事自体が立派な訓練です。 次の日は腹筋と背筋が一段と痛かったです。 9月30日 PTの先生に「おかしいと思う位に熱を出す等のトラブルがない」と言われます。 10月2日 祖父母・Tおばちゃん・彼女(元彼女)がYさんKさんの個展に行き、絵を買います。 YさんKさんに「トルマリンクリームは強いからまだ使うのは早すぎる」と言われます。 |