


| 長野県身体障害者リハビリテーションセンター(以下 県リハ)にいる。 頚髄損傷。両肩ともすくめる事ができる。右肩を可動域は狭いものの回す事ができる。右肘を曲げる事ができるが、延ばす事ができない。右手首を返す事ができる。小さな声だが、喋る事ができる。痙性は日に日に強くなる。起立性低血圧の為、ベットを上げるのに少し時間がかかる。腹筋と背筋が痛い。 膀胱瘻を付けている。 電動車椅子によく乗る。1日3食、食事の装具を付けてもらい自分で食べる。トラックボールを使いパソコンを使う。装具を使い字を書く。装具を使い携帯電話を使う。 面会は11:00〜20:00。親は毎日来てくれる。母は県リハに車で片道40分かけて9:00〜10:00位に来てくれ、1日中いてくれる。父はよく仕事帰りに来てくれ、20:00には2人で帰る。友達も沢山来てくれる。リハビリ OT室PT室にて、それぞれOT・PT30分位ずつ。母が、よくマッサージをしてくれる。呼吸の練習をする。サンアップルに、呼吸のリハビリも兼ねてカラオケによく行く。3日に1度、排便。週2回特殊浴槽で入浴。 |

| 退院した後、薬などの面倒を見てくれるのは>厚生連 篠ノ井病院だし、まだ家も出来てない という事で篠ノ井病院に転院させてもらいます。 県リハに転院した時は寝台タクシーなのに対して、今回篠ノ井病院に転院する時は普通の(車椅子のまま乗れる)車です。 この半年間でずいぶん力がつきました。 入った病棟はリハビリ科です。普通リハビリ科に入院するのが妥当かと思っていましたが、違ったようです。 篠ノ井病院ではリハビリ科は脳外科が管理している故、リハビリ科に入院してる人はお年寄りが多いのです。俺が「暑い」と思っていても同室のお年寄り達は「寒い」。 結果4人部屋で1:3でお年寄りの意見が通り、
俺には整形外科が適していたのかもしれません。。 おまけに篠ノ井病院には無線LANが引いてない為、マイパソコンもただのDVDプレイヤーと化しました。 そーいえば県リハで便所掃除はしなかったなぁ〜、、、結局HCUの看護師さんの話は俺を脅して気合を入れさせる話だったんだなぁ〜・・・ 7月31日 厚生連 篠ノ井病院を退院します。 長い入院生活が終わりました。 帰る場所は昨日完成した実家。綱渡りのような毎日です。 実家に帰るとご飯もうまいし、21時消灯じゃありません。 生活の質(QOL)がかなり向上しました。 8月2日 実家に帰った2日後、
フィリピンに行ってる間実家は父の会社(実家を作ってくれた建築会社)の展示場と化します。実家を安く見積もってくれたささやかな恩返しです。 8月9日 フィリピンから帰ってきます。行く前と大きな違い(肘が伸ばせるようになったとか指が動いたとか)はありませんが、脊髄損傷は治療の積み重ねが必要らしいです。 そして新しい実家での生活が始まります。 |
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野球好きでない俺は、ずっと後になって凄い事だったと気付きます。 フィリピンにはもちろん飛行機で行く事になりますが、車椅子に乗ってから初めての飛行機です。 大変でした。車椅子で飛行機に乗る時、飛行機内の通路が狭い為 機内用の小さな車椅子に乗り換えての搭乗になります。 車椅子を押してくれるのは乗務員の人ですが、俺がひとりでバランスを取れない事を分かってないような押し方でした。 それ故、いつ倒れてもおかしくない命がけの搭乗になりました。 おまけに車椅子の人は一番最初に乗り一番最後に降ります。 「フィリピンに行く」なんだか楽しそうですが、ちっとも楽しくありませんでした。 旅行じゃなくて治療に行ったからです。 1日2回ホテル内で治療があり、それ故ホテルに缶詰状態の1週間でした。 心霊治療の先生は、俺に対してとてもやさしいです。最後の日に先生と一緒に食事をする機会があったので何故そんなにやさしいか聞いてみました。 返ってきた答えは「かわいそうだから」でした。
これからサービスを受ける為にヒューマンネットながのへ行き、理事長と話します。 ユニバーサルデザインについても色々聞き感心します。 8月15日 彼女と別れます。 今まで付き合っててくれてありがとう。 8月16日 駅前で盆踊りがあったので参加してみます。とりあえず車椅子で踊りの輪に入ってみましたが、踊れないのでイマイチ楽しくなかったです。 YさんKさんからトルマリンクリームを使っても良いと言われます。 トルマリンクリームの強さに耐えられる体になったって事です。 これから毎日、寝る前に 手・足・首・背骨 に塗ることになります。 |