

| 実家にいる。 頚髄損傷。両肩をすくめる事ができる。右肩を可動域は狭いものの回す事ができる。右肘を曲げる事ができるが、延ばす事はできない。右手首を返す事ができる。痙性は日に日に強くなる。腹筋と背筋が痛い。 膀胱瘻を付けている。 夜寝る時以外電動車椅子に乗っている。褥瘡対策の為、1日に何回か徐圧してもらう。1日3食、食事の装具を付けてもらい自分で食べる。トラックボールを使いパソコンを使う。装具を使い字を書く。装具を使い携帯電話を使う。 毎日、朝起きてから母のPT、昼にはスタンダップチェアーで約30分立ち、鏡を約1時間やる。3日に1度排便。毎週月曜日と金曜日、特殊浴槽で入浴する為にハーモニー桃の郷に行く。毎週水曜日、リハビリの為に県リハに行く。毎週水曜日、家で入浴。3週間に1度、膀胱瘻の交換に篠ノ井病院に行く。1ヵ月に最低1回は長野市街にお出かけする。1ヵ月に1度、整形外科の診察を受けに県リハに行く。1ヵ月に1度、東京に治療を受けに行く。1ヵ月に1度、サンアップルのプールに行く。3ヵ月に1度、脳外科の診察に篠ノ井病院に行く。 |

| 東京に治療から帰ってきて早、1週間。次はフィリピンに心霊治療です。 治療の為だけに行くので、はっきりいって正直しんどいです。 感想は昨年行った時とあまり変わりません。 違う所は、日本は今冬でフィリピンは乾期って事位です。 乾期だったから気を引き締めて行ったものの、
けど、帰ってきたら真冬。それにはこたえました。
きっと、この言葉の変化は前進を意味するものと思われます。 これからも、これらの言葉に負けないように頑張っていこうと思います。
他にGH3という薬も勧められて飲みます。回復の為とはいえ少々高かった気もします。「日本せきずい基金」さんのメールに書いてあった「オリゴデンドロサイト」について、インターネットで調べてみます。結果、脊髄損傷が治りにくいのは「オリゴデンドロサイト」や「グリア細胞」などのヒトのシステムに問題がある事が分かりました。 難しすぎて頭が痛くなりました。 2月29日 今年はうるう年。そのうるう年の日に友達の結婚式があり、招待されました。 挙式にも招待されますが、なにぶん車椅子 座る所がありません。 式場の係員に案内してもらったのは、全ての席より前。 新郎新婦の父母より前でした。 少々気まずかった気もします。 披露宴と二次会は前の結婚式と同様、にぎやかで俺の小さな声はなかなか通らず、飲んだくれます。でも まだ前の結婚式よりはマシで、少しは喋れます。
1月30日 桃の郷で「今度長野市長と話し合おうって会があるんだけど、もし何かあったら手紙かメールで送ってみて」と言われました。 せっかくなのでメールを送ってみました。発表者に選ばれる事を祈ります。 3月1日 元] JAPANのTOSHIが桃の郷に来ました。 ![]() 「桃の郷に行きなさい」とお告げがあったとかなかったとか・・・ TOSHIは、黒髪で小さくてちょっとしゃくれぎみのポッチャリとしたオッサンでした。 歌った曲はアルファー派でも出てるんじゃないかっていう癒し系の曲を3曲。あとは哲学的な話をしていきました。 利用者のほとんどが知的障害者の施設で哲学的な話をして、何人話を理解した人がいたでしょうか? 何がしたかったのかよく分かりません。 いつの間にか俺がTOSHIにお礼のプレゼントを渡す人になっていました。 ![]() CDを買った人にしかサインをしてくれないし、一緒に写真も撮ってくれないというので母がCDを買いました。 写真を撮ってもらう時、 TOSHIに 「俺、事故当時 入った病室、hideさんと同じ病室なんですよー」と話しかけると、 「あっ、そーなんですか〜」と、 あまりにもリアクションが小さかった事にショックを受けました。 CDは買ったきり、一度も聞いてません。CD1枚3.800円、高すぎる出費でした。 3月2日 俺は2002年1月28日、バイクの免許を取りました→。 誕生日から1ヵ月後以内までに免許の更新をしなければいけない年になりました。 てなことで、交通安全センターに行きました。そこで、ちょこっと不思議な体験をしました。 ![]() 交通安全センターに行くと話し合いがあり、乙武君が使ってる車と同じスティックで操作するような車限定で運転できるような免許になってしまったものの、 優良運転者講習を受け、
![]() 大事故小違反で。 そして普通自動二輪の免許は、、、、、、消えました・・・・・
理由は、多分またこーゆー事だと思われます→
しかし、事故前と事故後で怖いくらい人相が違います。 まるで使用前と使用後のようです。 事故に遭わず健常であれば出会わなかった人たち。俺にとって大きな財産です。きっと これからもそーゆー人に沢山出会うのでしょう。本当にうれしいです。 |
|||||||||||
![]()
車椅子の俺だけ搭乗する場所が違って、しばらくの間家族と別れフィリピン人の乗務員に車椅子を押してもらいます。 もちろん俺がひとりでバランスを取れない事を分かってないような押し方でした。 倒れました。 倒れても胸にバンドをしているので落ちません。バンドをしていて良かったです。 が、フィリピン人の乗務員は体勢を直してくれません。俺が自分で好んで倒れているとでも思っていたのでしょうか・・・ 頑張って「ヘルプ ヘルプ」と言いますが、俺の小さい声は届きませんでした。 両親が来るまで倒れたままでした。 もうすぐ2年目が終わります。モリノスさんが事故当初言っていた「2年目は機能が繋がり始めるという事が本当ならどこか(指とか)がもうすぐ動くはずだ。でも動かなかったら・・・・・」と考え、なんだかあせります。 あせった所で何も変わらないのに・・・・・ あ〜〜〜、前にモリノスさんに言われたドツボってこのことだ。 よく考えると昨年の今頃はまだ車椅子にも満足に乗れなかったなぁ〜・・・ この1年は体の中の機能が繋がり始めた1年だったんだ。 毎月 東京に治療に行っていると、必然的に青物が少なくなります。 青汁を飲むようになります。 あまりまずくはないです。 2月4日 役に立てて欲しいと思い、舌咽頭呼吸法のやり方が入っているビデオとピタッチの試供品を県リハのOT先生に持っていきます。 2月11日 陶芸家の友達の個展に行きます。 ちょっと高かったけど、行った時から気になっていたひょうたん型の徳利を買わせていただきました。
良い事尽くしじゃあ、ありませんか。 「ひょうたんの力も俺の回復の力になれば良いな」と思いました。 2月13日 24回目の誕生日。13日の金曜日。 俺はキリスト教徒じゃないから別にいいけど、ちょっと気になります。 2月14日 トルマリンクリームが無くなり、横浜の祖父母に買ってきてもらおうとしたら、前買った所の「原宿ニューエイジセンター」が無くなっていたので買えませんでした。 それをYさんKさんに言うと、 「必要なモノは向こうからやってきて必要のないモノは自分で去っていく、宗喜君にはもう必要がなくなったんだ」と言われます。 結局、「原宿ニューエイジセンター」は青山に移転して「イヤシロチ青山」と名前が変わっていただけですが、必要の無いモノを追いかける必要もないのでトルマリンクリームを使うのをやめます。 2月15日 事故から2年が経過。過ぎていく日々の中では大きな変化も無くあまり回復しているようには思えませんが、振り返ると回復している事が感じられます。1年前は→ スタンダップチェアーで立つ事にだんだん慣れてきます。そこで立っている時に舌咽頭呼吸法をやってみました。きつい・・・・・ 改めて「寝てる時」「座ってる時」「立ってる時」で、肺活量が全然違う事を思い知らされます。 2月20日 メッシュを入れます。 肘が延びないので、5年日記を逆さまに上から書く事が多くなりました。見てくれより内容重視です。きっと5年後には逆さまに書いた事を見て笑う事でしょう。 |