2005年 2月11日



状態、状況

実家にいる。
頚髄損傷。両肩をすくめる事ができる。右肩を可動域は狭いものの回す事ができる。右肘を曲げる事ができるが、延ばす事はできない。右手首を返す事ができる。痙性は日に日に強くなる。横隔膜が痛い。
膀胱瘻を付けている。
夜寝る時以外電動車椅子に乗っている。褥瘡対策の為、1日に何回か徐圧してもらう。たまに筋トレをしている。1日3食、食事の装具を付けてもらい自分で食べる。手をテープで縛りパソコンを使う。装具を使い字を書く。装具を使い携帯電話を使う。
毎日、朝起きてから母のPT、脳を鍛えて、昼にはスタンダップチェアーで約1時間立ちながら歌い、を約1時間やる。3日に1度排便。毎週月曜日と金曜日、特殊浴槽で入浴する為にハーモニー桃の郷に行く。毎週水曜日、リハビリの為に県リハに行く。毎週水曜日、で入浴。3週間に1度、膀胱瘻の交換に篠ノ井病院に行く。1ヵ月に最低1回は長野市街にお出かけする。1ヵ月に1度、整形外科の診察を受けに県リハに行く。1ヵ月に1度、東京に治療を受けに行く。1ヵ月に1度、サンアップルのプールに行く。1ヵ月に1度、連合長野 青年委員会の幹事会に出席する。3ヵ月に1度、脳外科の診察に篠ノ井病院に行く。


新しい事     今回が最後の事





外

2月11〜13日 21世紀の健康を考える会の池上会館であった3日間サードセミナーの後のヒーリング会に参加します。(初めてなのでサードセミナーには参加できませんでした)






2月13日 25回目の誕生日。

今日も池上会館である21世紀の健康を考える会の3日間サードセミナー後のヒーリング会に参加します。池上会館に着き、ヒーリング会の列に並んだ次の瞬間 男性に声をかけられました。


モリノスさんです。



モリノスさん
スタッフに来るように前から誘われていましたが、ヒーリング会に出席するのは今回が初めて
明日からハワイに仕事に行く為 忙しく、今日は来れても夜7:00以降の予定でしたが、たまたま時間が取れたので早く来ました(4:00頃)
初めて21世紀の健康を考える会のヒーリング会に参加します
2003年12月10日モリノスさんに会った時に、「少しずつ良くなって自分でピンときた時にとコンタクトを取れば良い」 と言われたものの、ピンとくる程の大きな変化は無く、連絡を取りたいけど取れない状態でした

しかも誕生日です。これを奇跡と呼ばず何と呼びましょう。


モリノスさんとしばらくの間 話し、これから俺が回復の為にしなければいけない事などを教えてもらいます。

ちなみにモリノスさんは特別遠隔ヒーリングを受けた所 周りの環境がガラッと変わったので、小林先生がどういう人なのかを確かめる為にも来たそうです。



25回目の誕生日は今の俺にふさわしい誕生日になりました。






2月15日 今日で事故から3年目が終わり4年目に突入です。

何故か昨年のような焦りはありません。もちろん回復をあきらめたワケでもありません。



モリノスさん事故当初 言ってくれた言葉は事故当時の俺にとって


短くもなく長くもない、俺が頑張るのに必要な言葉だったと思います。



これからはモリノスさんの占いから先の世界です。

俺は俺以上の所にも俺以下の所にも行けません。俺は俺の道を歩んでいきます。






2月26日 今日から2005年スペシャルオリンピックス冬季世界大会-長野(SONA) が開催されます。

スペシャルオリンピックスは世界84の国と地域から約2600人が参加する知的障害者のスポーツの祭典です。

SONA ロゴ
その中でも今回はアジアで最初に開催される世界大会であり、オリンピック、パラリンピック、スペシャルオリンピックスの三つのオリンピックが同一地域で開催されるという、世界的に意義のある大会だそうです。



せっかくなので、あまり興味のない方も目を向けてみてください。

SOは健常者の方々に見てもらう事にこそ意義があると思います。






3月2日 桃の郷と一緒に、ビックハットにSONAのフィギュアスケートを見に行きます。

SOは同程度の競技能力レベルで競い合います。
つまり、技術によりランクが分かれているのです。


今日のフィギュアスケートはlevel1(一番低いレベル)でした。




氷の上をやっと歩いてるような選手が出てきて、それでも採点されているを見て一瞬 呆然としてしまいました。しばらくして、納得してほのぼのとした気分になりました。



会場内はこんな雰囲気が、level1と言っても後半の選手になるとバックスケーティングから前向きになったり ちょっと飛んだりと、それなりにうまいので感心しました。

きっとレベルが高くなると、もっと凄いのでしょう。



イモ虫でも旗を持って?応援
障害を乗り越えて一生懸命に競技する姿に感動しました。


ちなみに、ビッハットの中は氷が溶けないように冷えていたので、相変わらず俺はイモ虫してました。





で、スペシャルオリンピックスを見て、オリンピックス・・・・・


何で 複数形なんだろう?
と思い、調べてみると こんな理由がありました↓

・スペシャルオリンピックスと名称が複数形なのは、日常的なトレーニングから世界大会にいたるまで、いつでも、世界中のどこかで、この活動が行われているから。
・わざわざ複数形の呼称にしたのは、年中通してトレーニングできるようコーチやボランティアなどのきちんとした組織をたくさんつくりたいという願いを込めているから。






3月8日 連合長野の第3回幹事会に出席します。


今回の幹事会は長野市内にある労働会館なので俺にとって移動が楽でした。

会議中
前回と違い体調も良かったので話し合いにも加われ、ちょっとは役に立てたと思います。
(俺なりに)




何よりうれしかったのは、幹事の一人の方に「初めは重度身体障害者として堀内君にあった抵抗が無くなってきた」的な事を言われた事です。


そこにこそ、俺が連合長野 青年委員会の幹事の一人であるという事の意味があると思いました。





3月13日 堀内家では、専門学校や大学の入学式や卒業式などの大きな節目には必ず両親が出席します。

今年はが大学を卒業します。


って事で両親が千葉にある大学(麗澤大学)に行きますが、俺だけ置いてかれると困るので俺も出席する事になりました。



千葉に行くついでに友達や親戚・知り合いのホームページの所の親戚の中村睦子さんにも会いますが、会って始めて初対面という事に気付きます。再従兄弟に会うのも初対面でした。

そんなモンなんですね・・・・・




そして夜、事故当時 俺を支えてくれたを支えてくれた

友達と飲みます



が「事故当時こいつらがいなかったら大学をやめてたかもしれない」という友達なので、今回俺も卒業式に来て良かったと思いました。




堀内家と弟の友達(2人中1人)そして迎えた3月14日 ホワイトデーに卒業式です。俺も ちゃんとスーツを着ての出席ですが、どうやらより太ったようでズボンのボタンが閉められませんでした。




で、卒業式。卒業式で感じた事は、やっぱり校長の話は長いという事、おかげで眠くなり校歌が子守唄のように聞こえました。寝ました・・・



今回の卒業式でスーツのズボンのボタンが閉められなくなった事の判明により、ある程度食事に制限がかかりそうです。

どうすれば痩せられるんだろう?食事制限しか無いのかなぁ〜・・・


そしては京都の医療関係の会社へ就職します。
俺の事故が関係してなくもないでしょう・・・












中・他

2月16日 朝5:00頃、揺れます。ニュースを見ると茨木で起きた地震と言っていました。地震を体感したのは新潟県中越地震に続き、生まれて2回目です。




ものもらいが治ったっぽいです。たぶん・・・





中に音楽を流すのをやめました。      なんとなく・・・・・
静寂の中にある静寂な音・鳥の鳴き声 などの自然界の音もいいもんです。






3月9日 総入場者数が10,000人を越えました。ちなみに、この日の1日入場者数は111人でした。






マイテーブル  県リハのOTの先生作

NEWマイテーブル  祖父作
3月14日 祖父新マイテーブルを作ってもらいます。

左手が車椅子の内側に入りやすく、テーブルを支える所が左の手すりから抜けにくく、そして板自体が厚くなりました。



器用な祖父に感謝です。


今度は、これから更に改良したものを作ってくれるとか・・・







3月16日 食事制限かぁ〜、、、そうだ、県リハには車椅子ごと計れる体重計があるので、リハビリに行った時 体重を計ってみよう。


総重量76s−車椅子27s=体重49sでした。



には毎日のように「重くなった 重くなった」と言われますが なんて事無い、昨年より1s太っただけでした。

良かった・・・・・



ちなみに、PTの先生に「痩せる方法はありませんか?」と聞くと、
「そんなのがあれば私も知りたい」と一蹴されました。


で看護士さんに同じ事を聞くと同じ答えが返ってきたそうです。










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